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「忠夫さん、死ぬまで一緒やで」
~寿美花代 献身愛で闘う夫の病~』で出演。
忠夫がうつ病を患い、その後復帰したものの、再び表舞台から姿を消した。
今回、5年ぶりに自宅にカメラが入り現在の暮らしぶりを伝える。
息子政宏・政伸の二人も俳優として活躍し有名な芸能一家、
そんな高島家の知られざる真実が明らかになる。
芸能界きってのおしどり夫婦と言われた高島と寿美。
高島 忠夫(たかしま ただお、男性、1930年7月27日 - )は、日本のタレント・俳優・司会者。
作家の小松左京は神戸一中時代の同級生で、一緒にバンドを組んでいた。
また高校・大学時代の同級生に作曲家のキダ・タローと俳優の藤岡琢也、作家の団鬼六がいる。
新東宝のニューフェイスの第1期生でテレビに進出ごは司会に映画評論に幅広く活躍していた。
高島は98年頃から26年間続けて愛着のあった仕事である『ごちそうさま』の司会交代や母親が入院(2000年死去)したこと等々がきっかけでうつ病になり
治療に専念その後改善し現場復帰するも再発し再び療養
2003年ごろから徐々に芸能活動を再開、2007年春から完全復帰。
以降は家族とともにうつ病への理解を深める活動を行っている。
高島忠夫さんは、仕事のストレスから不眠とアルコール依存症となってしまい、
お酒で睡眠薬を飲んでしまうまでになってしまい、その後重度のうつ病になってしまった。その症状は想像を絶
する悲惨なものだった。
雨戸を閉めた真っ暗な部屋でベッドに一日中横たわり、天井をずーっと見つづけ、無表情で言葉も出ない状態になったという。
また糖尿病、パーキンソン症候群を患い、3年前には不整脈で心臓にペースメーカーを付ける、
15時間にも及ぶ手術を受けていた。
献身的な寿美のサポートにより、奇跡的な回復を見せつつある
「介護で一番大事なのは完璧にやろうと思わないこと」と言い、
「忠夫は私を本当に姫のように優しくしてくれた人。いまはその恩返し」
という気持ちで接していることを明かしている。
芸能人といえども、高齢化社会の一員であることに変わりはない。
残りの人生を少しでも楽しく幸せに生きようとする寿美の姿に迫り
老老介護の現実をカメラは映し出す。
夫婦で最後になるかもしれない海外への旅行を決断。
日本でもかつて大ブレイクしたあの世界的スターに会うために。
夫の体力を考えるとギリギリの選択。
死ぬまでにどうしても夫の願いをかなえたかった。息子の政伸も同行することに…。
その友人と旧交を温めた高島は「目の力が違う強さを持っていて、いい表情になっておられた」そうで、
「私たちが密着した2か月間にも、お元気になられる印象を受けました」と話している。
どんな厳しい状況にあっても献身的なまでに忠夫さんを支え続ける寿美さんのポジティブさからは力をもらえま
す。涙あり笑いあり。の番組になったとプロデューサーはコメントしている。
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2013-06-18 13:38
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